ラスベガスのサンクチュアリ教会で歩まれている五十嵐さんから、「天の父母様」という呼び方の間違いについて整理した文章を送っていただきました。日々の伝道の中で是非活用して下さい。
2016年12月4日(日曜)イーストガーデンで教会の2世、3世に韓お母様は「神様は全の創造物をペアーで創造された。人間もペアーに創造されました。そうであるなら神様は天の父母様です。」と言われました。このお母様の発言を自分なりに整理してみました。
聖書では何と言っているか?創世記1章26節と27節には、神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、…………………………」。「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女との創造された」。この旧約聖書の聖句からすると神のかたちは男と女(父母)と解釈することも可能です。しかし、聖書の中に神を父母と言っている箇所はなくイエス様は「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように、御国がきますように、みこころが天に行われるように、地にもおこなわれますように」と祈れと言われましたが神を「天の父母」とは呼ばず「天の父」と呼んでいます。
原理講論には「したがって、被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるをえなかったのである。コリント1、11章7節に、「男は、神のかたちであり栄光である」と記録されている聖句は、正にこのうな原理を立証しているのである。このように、神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その各位を表示するのである。
またお父様のみ言葉集、「真の神様」でお父様は「実体をかぶった、神様の体で造ったアダムが、人間の先祖になるのです。言い換えれば、アダムは実体の神様です。無形の神様が実体の世界を主管するためには実体の体がなければなりません。それがあってこそ見たり聞いたりできるので、神様が実体の体として造られたのがアダムだというのです。それでは、エバとは誰ですか。エバはアダムの妻です。実体の妻です。それゆえアダムが実体をもった神様ならば、エバは実体をもった神様の妻です。神聖な神様が妻を得るというので驚くかもしれませんが、アダムは実体をもった神様の体です。エバは実体をもった神様の妻として創造されたのです」。
「愛を論じるならば、人格的神でなければなりません。情緒と、人格的に人と同じ素性をもった神でなければならないのですが、そのような神を提示した宗教はキリスト教以外にはないのです。神様を父と言ったのは偉大な発見だというのです。神様を父だと言ったのです。神様を父だと発見したという事実は今先生が話す、神様を内的父と外的父と見て実体に一致する愛によって統一的な権限をつくろうとするその基準、確実にこの基準までは発見できませんでしたが、そんな内容を暗々裡に解明することができる標題を掲げたという事実は驚くべきものです。そして唯一神を論じました。ですからこの宗教は世界的宗教であり、世界がこの宗教を中心としてまとまることができるというのです。この宗教によって世界が一つになることができる道を立てていくと、このように見るのです」。
「神様と人間は父子の関係ですが、どのようにしてそのような関係が結ばれたのでしょうか。神秘の境地に入ってこの宇宙の中心が何であるかと尋ねると、父子の関係だという答えを得るのです。宇宙の中心とは何でしょうか。一言で、父子の関係です」。
「神様と人間は、絶対的な相対として愛の関係を中心として生まれた存在です。その位置が、神様は父となり、私たちは息子、娘となる位置です。もしそれ以上の位置があるならば、人間の欲望はまたその位置を占有しようとするのです。人間の欲望は最高を追求するので、それ以上のものがあったとしたら私たち人間に与えなければならないのです。このような点から見るとき、当然神様は人類の父であり、人間は神様の息子、娘です」。
私の結論:お母様の言われるアダムとエバ(息子と娘、夫婦、父母)の二性性相(ペアー)の実対対象は被造世界(無形実体世界も含む)の中で神の愛の対象として存在するのであって、神ご自身は本陽性(男性格)と本陰性(女性格)の中和的主体で被造世界に対しては男性格主体(天の父)であるということです。完成したアダムと完成したエバ(真の父母)は神の被造世界の実体対象であって決して創造主ではないということです。だから韓お母様が言われる「天の父母様」といわれるコンセプトは二神論になる間違いであり、祈りは唯一神の「天のお父様」が正しいことになります。
2016年12月13日
五十嵐