感想文
大分教会 阿南信義 2016.4.14
かねてからの念願でありました今回の一連の行事(4/8~4/12)に参加できましたことを、天のみ前に心より深く感謝申しあげます。
個人的に到着までの時間がかなりあるのでどう過ごそうかと思い、決めたことは飛行機の中、ホテルで時間のあるときにお父様の御聖婚以前に語られたみ言を持参して、訓読しようと計画しました。それは御聖婚以前のお父様のみことばの中に多くイエス様の心情を語っておられ、それは今、亨進様がイエス様の心情ではないかと考えたからでした。そしてちょうど亨進様の年齢もお父様のその時と重なると思ったのです。
それでその時のお父様の説教が22編ある中で4編を出発前日にプリントアウトして、あとはパソコンを持参することにしました。
胸に染みる感動的なみことばが多くありましたがその中で
「捨てられたイエス様のものを捜し立てる新婦になれ」 1957年10月4日
の説教に
「またイエス様は家庭において、自身のみ旨を立てることができなかったので、社会を通して、あるいは教団を通して、自身のみ旨を知らしめることを願ったのです。しかしイエス様はユダヤ教のまえに、またイスラエル民族のまえに歓迎されず、捨てられたのです。このようにイエス様の一身が排斥されたのみならず、さらにはイエス様がされた御言も排斥され、イエス様の生活、イエス様がされようとされたその事が、すべて排斥されたことを、皆さんは知らねばなりません。それゆえ皆さんは、このように見捨てられたイエス様の心情、捨てられる時のその寂しさ、心に受ける苦痛がどれほど大きかったかを、推し量ってみなければなりません。もしもこのようなイエス様の苦痛を知らない者になったなら、皆さんは四〇〇〇年の歴史に責任を負ってきたイエス様の人生、その理念、その生活、その仕事と御言を知る者として、到底現れることはできません。」
とあるみことばが痛く胸に響きました。
今回の三日目(4月10日)の質疑応答のとき、亨進様のみ言を語られる姿は深刻な表情となりました。まさしく天の怒りの心情を訴えられるようにしてみ言を下さいました。
「皆さんが偽りの天一国国歌を歌っている時に、私たち勝利したカインとアベルは子供たちをつれて真夜中に自然の中に入って、お父様が作られた天一国国歌を涙ながらに歌っていました。お父様を裏切らなかったたった二人だけがそこにいました。お父様のカインとアベルがそのような状況の中でお父様を想い、涙を流しながら、心が引き裂かれる思いでその歌を歌ったその心を皆さんは知らないでしょう。皆さんがお父様の存在や姿を少しずつ削除しているそのことに同参している時に、私たちは精誠を立て、お父様を思い焦がれていました。」
と語られ、アメリカの山中にたった二人で出発された時の心情を吐露されたときに、本当に申し訳なく、何も知らないで私がそうさせてしまったという思いに胸が詰まりました。
まさに捨てられたお父様とともに出発された亨進様と国進様の心情にふれて、心が痛くなりました。十字架の道にいかれたイエス様がローマで迫害の中で出発されたと同じ路程を第二代王亨進様と国進様が歩んでおられるのを痛感させられました。
その最後にみんなで天一国国歌を歌いましたが、亨進様が涙を流しながら手を上げて歌われておられるお姿は忘れることができません。どれほど悔しく悲しくともお父様の王権を受け継がれた立場において決意され、生きてはたらいておられるお父様とひとつとなって出発されておられたかを思うと感謝せざるを得ませんでした。
私自身、新しく出てきた天聖経の改竄に一昨年より気付いていたものの、傍観者であった期間があったことを悔い改め、家庭連合を責めることよりも、自分を責めることを考えなければならない立場であることを認識しました。また自分がお父様を捨てた立場であることを自覚して、悔い改めて再出発しなければならないと思わされました。
そして今回第二代王亨進様ご夫妻国進様ご夫妻との質疑応答の機会が3度も持たれ、その場に参加できたことは将来において忘れることのできない出来事となりました。
3日目(4月10日)のその時には感想を発表する機会を与えられ、私が述べたことに対して、国進様がとても喜んでいただけたことに対して嬉しく思うと同時にそれを成就することに対して責任を果たさなければならないと自覚した次第です。
4日目(4月11日)の時にも重生について質問させていただきました。これから祝福を拡大するために明確に理解する必要を感じていたことでしたので、直接お伺いできたことは恵みでした。
特にその時の質疑応答は皆さん熱心で4時間を越えても終わらない雰囲気で「私たちはお父様でないのでこれで終わりにします」と国進様が語られる中で、江利川会長がみんなの天一国憲法冊子へのサインを亨進様に求めていかれるやり取りはお見事というしかありません。貴重な楽しい時間であり、お父様と共に過ごしていると実感する時間でありました。
また終わって帰られる車の運転は亨進様、国進様が自ら、なされておられる姿は印象的で感動しました。天国は逆ピラミッドの組織となるという理想を率先しておられるからです。
そして4月12日帰りの成田に向かう飛行機の中で、整理しようとみ言を訓読していました。すると1965年1月31日東京南平台で語られた「イエス様の最期と我々の覚悟」のみことばの中に
「だから、まずここに立っている先生以上、日本を愛しなさい。世界を先生より以上に愛しなさい。天の父を先生より以上愛しなさい。もしも、君の側に先生が倒れた場合、先生のその死体をつかんで泣くな。涙を流すな。先生が愛するその天を誰が愛する? 先生が愛する人類、愛するその天宙を誰が愛する? 責任は誰が持つか。そういう神に対して涙を流す。それは先生が残したい言葉である。」
お父様の残したい言葉というみ言に触れたとき、熱いものがこみ上げてきました。
まさに、第二代王亨進様、国進様がすでにその心情と信仰を勝利されておられて、実体的に生活しておられて、そこにお父様が生きて共にいらっしゃること、私はそれをいかに相続するかという事が最重要であると、今回の期間を通して感じたからでした。
そして今回、天一国の理想はどういうものであるのか、ということが心情的にも具体的にも見えてきました。第二代王様や国進様がアメリカの食口と自由に接しているお姿やヨナ様チエ様が献身的に奉仕されておられるお姿を見たときに、天一国がここに成就されているとさらに自信を得ました。
私は自営の農業を山の中でやっていますがそれに対して誇りと自信を持つことができたことも大きな収穫でした。国進様の語られた天一国のビジョンをわずかながら実践しつつあるからです。
今回、ホテルの同室で名古屋の佐竹さん、東京の澤田さんと過ごして交流を深めることができたことはこれまた恵みでした。三人で毎朝、敬拝と家庭盟誓、み言の訓読と祈祷を捧げて出発していました。最後の日のみ言訓読は私の担当になりました。それで開いたみ言は平和神経の中の平和メッセージ14「停止は死亡に通じる」という箇所でした。天上世界と地上世界の統一に向かい停止することなく、前進しなさいとお父様から命令を受けての新たな出発となりました。
最後に、私は飛行機の関係で成田に一泊して14日に自宅に到着しました。その夜、感想文を書いているときに熊本が大地震に襲われました。私のところの大分も何度も大きく揺れました。
本当に避けることのできない審判が既に始まっています。そうせざる得ない天の心情に立って、備えなければなりません。それは第二代王亨進様、国進様と完全に一体となって天のみ旨に責任を持って歩むことであるので、その心情を忘れることなく、絶えず焦点を合わせなければと実感しました。
今回の路程はあまりにも恩恵が多くあり、ことばで表すことのできない多くの心情があります。それをこれからの生活に展開しようと決意を新たにいたします。
そして江利川会長には先程のことを含めて、色々とお世話になりました。日本より参加した一人一人を第二代王様に繋げようと必死に動いてくださいました。感謝申しあげます。ありがとうございました。